EV創世記【緊急連載 第1回】世界を覆うEV狂乱/舘内 端

世界の電気自動車(EV)シフトが本格化しています。なぜ、世界はEVを選ぶのか。EVとはどんな自動車で、これからどうあるべきなのか。日本におけるEV普及の先駆者である自動車評論家の舘内端氏が読み解く連載企画。第1回は連載『EV創世記』を始める理由を語ります。

EV狂乱

みなさんは最近のEV狂乱をどう思っているだろう。25年以上もEVにかかわってきた私でさえ驚くようなEV騒ぎだ。

ドイツから始まったEVシフトは英国に飛び火し、フランス、イタリアを巻き込み、早くから環境問題に取り組んできたスウェーデンのボルボが今や遅れ気味にさえ見える。

環境意識の高いヨーロッパの急速なEVシフトはわからないではないが、米国のGM、フォードのEVシフトは何なんだ。私の未来予測を見事に吹き飛ばしてくれた。「えっ、えっ、ほんと?」と頭を抱えてしまっている。

どうしてこんなになってしまったのか? この騒動の理由は何だろう?

付け加えれば、日本の自動車メーカーのEVシフトの遅延も気になる。量産EVの先達である三菱、日産の存在感も今や薄くなってきた。残りは推して知るべし。完全な立ち遅れだと各誌が論評している。

これは、どうしてなのだろう?

EV狂乱のわけ

待て、待て。日本勢の遅延といったが、それはEVシフトが当たり前で、当然という考えがあるからだ。しかし、なぜEVシフトは当たり前なのか?

こうした疑問に答えられないわけではない。EVシフトの理由は、地球温暖化・エネルギー問題の深刻化だ。そう思う。そのように私は30年近く前から発言してきた。

世界の主要国のすべてが、あらゆる対立を超えてこの件に関しては一致している。スーパー独裁国のロシアも中国も、さらに米国も世界に歩調を合わせようとしている。いや、それどころか我先にゼロCO2の感じすらある。これなら国連は不要だ。

激しく対立する国同士を、対立を超えて一致団結させる(魔)力が存在しているのだ。私には何か神的な力が働いているような気がしてならない。その力とは? おそらく、いや確実に「科学」である。科学は力なのだ。

科学の力

みなさんは「1+1=2」って信じているだろうか。自分できちんと確かめたことがあるだろうか。もちろん私も信じているし、リンゴ2つを使って何度も確かめた。

しかしながら、リンゴの大きさ、重さはバラバラである。それでも1個と1個で2個となる。

「2個となる」って、そういうことにしようと決めているわけだ。こうした「決めごとのことを科学という」というのは、大変に乱暴な論旨だが、世界中でこうした科学=決めごとは信じられている。いわば共通の言語だ。

そして、温暖化もその結果の気候変動も、大きな原因が大気中のCO2の増加で、CO2が増えると温暖化は進み、気候変動は激しくなると予想できる。だから世界が向かうべきはCO2ゼロだとされている。

これは科学の答えだから、科学信仰国家は反論できない。世界の一致団結は科学の力なのである。

EV狂乱とは、みんなで科学を信じている証といえる。つまり、今回の「EV創生」は、世界が改めて科学への固い信仰を表明した結果ということになる。

連載『EV創世記』を始めるわけ

今回、EVsmartブログで始めることにした連載『EV創世記』は、まあ、こんな感じで世界のEV史を紐解き、EVシフトの理由や必要性を論じていくのだが、寛大にお付き合い願いたい。

それでも世界中を探しても、これから私が述べていくようなEVの話はないし、ウィキペディア(Wikipedia)を探しても見つからない。つまり、こんなEVの話を知っているのはみなさんだけ。これを読んであちこちで自慢してもらいたい。

手始めに少しだけEVの始まりに触れておくと、その起源は19世紀の中頃、エンジン車よりも数十年早いとされている。ただし、「世界初」には諸説あり、どれが世界最初のEVかは定まっていない。まるで「卑弥呼の国探し」のようだ。なので、「初…」とか「EV年表」にはあまりこだわらないことにする。

EV史をひもとく前に、私が「EV創世記」なる連載を始める理由に、少し触れさせていただこう。

というのは、最近、EVがどこの国で生まれ、だれが作り、その構造はどうだったのか。そして、何度もすたれ、何度も生き返り、現代に至っているのか。といったEVの創生について私自身が関心を持つようなったからだ。なぜって、EVの行く末が心配だからである。

生まれたEVにも興味があるが、EVを生んだ時代と、その時代の背景にある思想や哲学にこそ強い関心がわいている。どんな時代がEVを生んだのか。そしてすたれた原因は何か。

すたれた原因を、EVの使いにくさとか、台頭したエンジン車の機能が高かったからというのは一面的だ。これは、多くのみなさんとメディアと評論家が判断の基準にしている機能主義、効率主義、つまり近代的な価値観に基づいた一面的な判定に過ぎない。

もちろん間違ってはいない。しかし、それだけでは卑弥呼の国の秘密に迫れず、EVの誕生と栄枯盛衰は語れないと思う。なぜって、卑弥呼も「生の人間」で、EVを生み、育てたのも人間であり、人間って機能だけでは語れないからだ。

EVという技術と生活で使う文化が何度も廃れては再生されてきたのはなぜか。何が人々をそうさせたのか。多面的な探求がなされなければEVの行方は考えられない。 このことを連載のベースにおこうと思う。

ヒントは「近代」というキーワードにある

私自身、子供のころから、大人になっても「歴史」にはうとくてさほど興味はなく、日本史も世界史も落第点だったのだが、環境・エネルギー問題が深刻になり、そこに自動車が深くかかわっていることに気づくと、そうも言っていられなくなった。

これらの問題には歴史的背景があるに違いないと思った。世界の、日本の歴史を知りたくなった。1980年代後半からのことである。

日本がバブっているころ。六本木のディスコが賑わっているころ、日産GTR、セルシオ、ユーノスロードスター等、日本のビンテージカーが生まれたころ、東洋ゴムの協賛、協力のもとに私は「21世紀の自動車社会を考える会」なる大きなフォーラムを開催していた。そこで改めて現代の思想、哲学に触れることになった。これまでの自動車の疑問を解く筋道を知ることになり、ようやく複眼で「自動車」を考えられるようになった。

そこで学んだヒントの一つが「近代」というキーワードであった。現在のすべては「近代」がもたらしたと開眼させられた。がしかし、近代を知るには前近代も、日本の近世も知らなければならない。この連載では「近代」を客観的に見つめる眼差しでEVの創生を考えていきたい。

かなり難しそうだが、まあ、人に自慢をするなら少しくらい難しい方がいい。次回は、20世紀末のフランスで感じたEVの魅力についてお話ししよう。お楽しみに。

(文/舘内 端)

【編集部より】

舘内端氏の緊急連載『EV創世記』は、10日〜2週間に1回程度の不定期連載でお届けする予定です。

舘内氏も参加するオンラインミーティング『EV言いたい放題』開催

舘内端氏が代表理事を務める一般社団法人日本EVクラブでは、6月26日(土)17時〜、オンラインミーティング『EV未来プログラム』を開催します。第2回のテーマは『EV言いたい放題』です。zoom のウェビナーで実施され、参加は無料ですが事前に下記Peatixサイトからの申し込みが必要です。

オンラインミーティング『EV言いたい放題』申し込みページ

もちろん、舘内さんも参加します。