Third Row Tesla Podcast – Elon’s Story – Part 1
※冒頭写真などは動画から引用。
ちなみに、Part2 もすでに公開されています。これも1時間以上にわたるロングインタビューの続編。テキストリンクを貼っておきますので、興味のある方はチェックしてみてください。ただし、全編英語です。後日、日本語訳のサマリー記事を掲載するかも知れません。
『Third Row Tesla Podcast – Elon’s Story – Part 2』
今回のサマリーはチームメンバーからの質問や会話の流れなどを太字で示し、それに対するイーロンの回答などを要約していきます。
太陽光パネルがあるGene Wilder氏の前の家でインタビュー開始。
(テスラの販売手法について)通常のPR手法を取らず、直接オンラインで顧客とコミュニケートするスタイルは他に見ない。どうしてこうするようになったのか。
●イーロンは、当初ツイッターを馬鹿馬鹿しいと考え、アカウントを削除したが、第三者が彼の名前でクレイジーなツイートを始めてしまった。その後ある人に、ツイッターは自分のメッセージを伝えるのに良いツールだと説得され、誰かが彼の名を使ってクレイジーなことを言うのなら、自分であるべきだと判断した。Facebookは信用できないし、Instagramは知的な情報を伝達するのに適していない。
リーマンショック後、2009年のイーロンはロードスターを作るのにも四苦八苦していました。そこからここまで成長して、伝説の人物のようになっているが、人に色々言われる中で「これは的外れだ」と感じるものは何か。
●自分は投資家ではない。かなり普通ではないが、自分の関わった会社にしか投資しない。持っている株は基本的にテスラとスペースXのみ。新しい会社に投資する際は、テスラとスペースXからのローンという形を取り、大体10億ドルの負債を抱えている。「彼は株と現金両方を保有しているけど、現金の上に胡坐をかいて何もせず、貯めこんでいる」と思っている人もいるようだけど……、政府に株をくれてやって運用してもらうのも可能だ。でも歴史が証明しているように政府はそれを上手くできない。
資本配分についてどう考えるか。
●ここで気にしなければならないのは、 人々の幸福度を最大化するために、フィードバックループに対する反応をいかに速くするか。フィードバックループに対する反応が鈍い、独占的もしくは寡占的な存在にさらに多くのリソースをコントロールされたとしたら……、独占的企業の限界の形が政府だ。政府のために働いている人達が悪いとは言わない。ただ、彼らがより良い業務形態に従事したら、その結果はかなり良いものになる。
●競争がある社会が必要だ、それも本当の意味での競争で、企業が状況を使ってゲームするようなものではない。ルールが正しく定められる必要があると同時に、規制する側を常に警戒しなければならない。実際、審判がプレイヤーにコントロールされている状態だ。プレイヤーが審判をコントロールしてはいけない。これは起こり得る話だ。
●例えばカリフォルニアでのゼロ排出車両に関する法令では、州側が電気自動車に関してかなり厳しい規制を加えようとしたのに対し、自動車会社は、イーロンから見ると、規制側をうまく騙したように見える。「電気自動車に関してそんなに躍起にならなくて良い。燃料電池車こそが未来だ」と考えさせた。しかし燃料電池車なんてものが実現するのは遠い遠い未来の話……、ほぼ永遠に来ない。このせいでルールは弱くなった。GMはEV1のリコールをし、消費者の願いに反して潰してしまった。
●(EV1は)そもそもそこまで素晴らしい車ではなかったが、EV1のオーナー達は、囚人が処刑されるように車が潰された廃材置き場で、ろうそくを灯して祈りを捧げた。製品についてこんな話を聞いたことがあるか? 他の一切のGM製品にこんなことはされていない。(こんな状況で)EV2ができると思うか? キャンディの会社のようだ。ずっとイノベーションが起きていない、寡占状態だ。
EV1を題材にした映画『誰が電気自動車を殺したか?』の予告編(YouTube)
寡占がどうやってなされるのか、どう有害か?
●あなたは自分が色々な会社から物を買っていると思っている。しかしキャンディでもドッグフードでも、何を買おうが実際には大体3つの会社に集約されている。競争が強制される良い環境が作られなければならない。消費者にとって良い商品を作ってる会社よりも、悪い商品を作っている会社が成功するべきではない。
イーロンが素晴らしいテクノロジーを世に出して、それを人々が買う事によって持続可能な社会を実現することに貢献できるが、世の中の人はその辺をまだ分かっていないような気がします。
●太陽光パネルもそうだし、断熱性のある家を持つことも省エネに繋がる。
イーロンの発想の原点は?
自分がこのような仕事をすると思っていたか? 大学講師などではなく?
●高校生の時は、加速器を使った物理学を将来やると思っていた。宇宙原理を解明したかったから。でも色々な事が起こって・・・超電導超大型加速器の計画が頓挫した時に「自分がああいう場所で働いていて計画が頓挫したらどうする?」と考えた。
●12歳の時に、自分が存在する意味を見失った。世界とは何なのか、自分の存在する意味は何なのか、と。そこでニーチェやショーペンハウワーの著作を読んでみたのだけど、これは間違いだった。人生の後に取っておくべきもの。彼は何だか問題を抱えてる。
●その後ダグラス・アダムスの銀河ヒッチハイク・ガイドを読んで、これがかなり良い哲学の本だった。宇宙は答えを知っているけど、自分達は知らない。でも宇宙原理を理解するのに、どのような疑問を持てば良いのか。思考と意識の幅を広げる程、自分達が何者で何故ここにいるのか理解するための疑問点をより上手く導き出すことができる。将来は機械の意識というものも出てくるだろうけど……。とにかく思考と意識の幅をできるだけ広げる事、それが自分達ができるベストな選択だ。
●これはすごい発見などではなく、明白だと思うけど……、インターネットは人間というものを根本的に変える。人間を超個体にする。インターネットは神経回路のようなもの。突然人間はすべての情報にアクセスできるようになった。自分の体に神経回路が無いと想像してみて。手の指も足の指も何が起こっているのか分からない。(動かし方という知識を)拡散しなければならない。
●かつては情報を伝えたかったら、手紙を書いてそれを人に渡して、運んでもらわなければならなかった。本を読みたかったら図書館に行かねばならず、図書館がなかったらそれで終わりだ。今は本をすぐに読めるし、山奥にいても情報にアクセスできる。そしてかつて情報はこの「拡散活動」によって動いていた。イーロンは物理のコミュニティにいたのでインターネットに早い時期から触れていた。しかし昔はすべてテキストで書かれていて、ユーザーフレンドリーな状態ではなかった。
●そのうち人の遺伝子を変える事も可能になると思う。AIにも繋がる。それが持続可能な社会に繋がっていく。
●環境問題がこれ程認知される前に、イーロンは持続可能なエネルギーについて考えていた。炭化水素を掘り出して燃やし続ければ、そのうち無くなってしまう。金属とは違う。スチールやアルミはリサイクルできるけど、エネルギーの状態に変化はない。化石燃料に関しては、高いエネルギーを持つ状態から、ものすごく安定した物質であり、低いエネルギーを持つ二酸化炭素に変えられてしまう。
●人間が金属を使い果たすことはないけれど、炭化水素物質は使い果たすだろう。そして数千億トン、数兆トンの炭化水素物質を地中奥深くから採掘して海や大気に放出したら、地球表面で化学変化が起こる。ここで必ず「どの位、ことは悪くなるのか?」という疑問が湧いてくる。「そこそこ悪い」から「非常に悪い」まで。なぜそんな実験をしなければならない? 持続可能なエネルギーに移行しなければならない事はいずれにせよ必要な時に。そんな実験をするなんて、イーロンが聞いた中で一番正気の沙汰じゃない。
●考えるまでもなく、炭素税は施行するべき。90%の経済学者がこれに賛同するだろう。正しい価格付けをすると、市場は適切に動く。無料にしておくと……、人々はそのレベルでしか行動しない。
Zip2とPaypalで莫大な金額を手にしてなお、リスクを冒してスペースXやテスラをやっているのは何故?
●イーロンは物理と経済学をペンシルバニア大学でやり、ロビン・レン(現在テスラで働いている)とスタンフォード大学に行った。彼は中国で生まれ育ち……非常に頭の良い人だ。彼はスタンフォード大学で学び続けたが、イーロンは前期の数日間いただけで別の道に行くことにした。スタンフォードでは電気自動車用高密度エネルギーキャパシタのための物理を勉強するつもりだった。高密度エネルギーキャパシタを作っているピナクル・リサーチで何回か夏休みに働いて……、彼らは高密度の出力で鉛蓄電池のエネルギー密度を作り上げてた。
●そこでやっているものの固体バージョンを作ろうと思っていたが、技術的に非常に複雑だった。彼らはルテニウムタンタル酸化物を使っていたが、ルテニウムはものすごくレアで高価。なので大量生産に向かない。高エネルギーを持つリチウムイオン電池の出現によって、キャパシタを追うのは正しい道のりではなくなった。その必要性が無い。物理的に可能ではあるけれども、現時点で必要性が無い。
Maxwellがキャパシタについて動いていると聞いたのですが?
●ピナクル・リサーチでインターンをやっている時に、Maxwellの話はしていた。彼らも高密度エネルギーキャパシタの研究をしているって。テスラがMaxwellを合併したのは面白いよね。乾燥電極は今よりもっと注目を浴びるべきものだ。でもこれだけでMaxwellとの契約を獲得したわけではないけど。
●化石燃料はそのうち無くなる。持続可能な社会を目指さないにしても、それはなくなって、文明が崩壊してしまう。EVを作ろうと思った動機はそこにある。ここから始まり、環境問題のためにという動機も加わった。既存の会社でこれをやるのは難しい。今までと同じことをやりたがるからだ。GMやトヨタは電気自動車の計画をキャンセルしたよね。今は全員がやってるけど。
中国で初の100%国外資本工場について。
●中国は世界最大の自動車消費国なのでここに海外初のギガファクトリーを建てた。工場をここに建てなかった場合関税のリスクもあったし、才能のある人達も多くいる。中国は初めパートナー契約を要求してきた。これに対しては、自分達が小さく若い会社で、結婚するには早すぎると答えた(笑)。例えば100%中国企業のファラデー・フューチャーはアメリカで操業しているし、アメリカ人も中国で工場を建てるのを許されるべきだと言った。何年も中国側とは話をし、最終的に中国が法律を変えた。
設備投資について。
●大きな違いは、僕達は以前ほど馬鹿ではないということ。設備投資に使う額は減ってきている。上海工場は、フリーモント工場で下手を打った部分を考慮して作った。より生産ラインはシンプルで、より多くが埋め込まれている。中国のサプライヤーを使った方が効率的。
●アメリカでの生産台数を増やしたい。モデル3製造ラインは週5千台作れるように設計されていたが、今は7千台作っている。不必要なものを使わないようにして40%の生産増を実現し、コストを抑えながら質を高めた。
アシュリー・ヴァンスの書いた自伝を読みました。自分について多くの誤解があると前から言っていますが、特にこれは言っておきたい、というのは?
●僕が簡単に人を解雇すると言う風に書かれているけど、そんな事はしない。才能がある人を解雇したりしないし、する時は他に手段がない時だ。
イーロンは生まれた時からお金持ちで、親からそれを受け継いだんだと言う人がいます。自分の生い立ちについて話してもらえますか?
●「世界の最先端技術はアメリカにあり、自分もそこに行きたかった。市民権を得られるカナダ(母親がカナダ人)に最初に渡った。カナダに17歳で2000ドルを持って移住した。ホステルに数日泊まり、長距離バスのグレイハウンドに乗って従兄弟の息子が所有する小麦工場で働くためサスカチュワン州スウィフト・カレントに行った。道中バス会社の手違いで小さな町に衣服は置き去りにされた……。スーツケースに一緒に入れていた本は何故か手元に持っていたんだけど。そこで6週間働いた。
●その後叔父が材木業用の機器を作っているバンクーバーへ向かった。木を切ったりパルプを煮ていたボイラー室を掃除したりしていた。今までにやった一番つらい仕事はこれだったかも……。一つしかない、スチールでできた出入り口を、防護服を着て匍匐前進しながら行き来し、蒸気を上げる砂と泥を掘りだしてボイラー室から出すんだ。閉所恐怖症の人にとってはとてもひどい環境で、一定の時間内に出ないと、熱中症になる危険があった。しかし(構造上)たった一つの出口を掘り出したものでブロックし、穴の外にいる人がそれをまたシャベルで移すという作業だった。かなり危険だったけど、他の仕事が時給8ドル位だったのに対し、この仕事は時給18ドルだった。一番金払いの良い仕事だった。やったのはたった4日間だったけどね。
●クイーンズ大学に2年間ほど行った。その後ペンシルベニア大学に行った方が良いと勧める人が現れたが、学費を賄えるとは思わなかった。カナダでは仕事をしながら大学に行けるけど……、アメリカは学費の制度が違う。でも少なくても申し込みはするべきだと言われてそうしたら、かなり大きな奨学金を貰える事になりペンシルベニア大学に進学して、物理学と経済学を勉強した。
●95年にスタンフォードに行き博士号をやろうとしていたが、インターネットの大きな波が来ようとしているのが分かった。電気自動車にはいつでも戻れるけど、インターネットは待ったなしの状況だった。なので、スタンフォードは後回しにして、Zip2を始めた。
●Zip2は地図とホワイトページ、イエローページで始まった。当時ネット上にある唯一のライブマップだったと思う。これで特許を取った。他に任せられる人がいなかったので、基本のコードは全部自分で書いた。最初は数千ドルしかなかったので、キンバル(イーロンの弟)が5000ドルを持って会社に参加した時はその額は大きかった。始め数カ月はコンピューターが一つしか無く、ウェブサイトが動かなくなった時は大概僕がコードをコンパイルしている時だった。中身をぐちゃぐちゃにしないように、夜にコードを書かなければならなかった。僕らは言ってみたらその住所(470 Sherman Way)のISPにタダ乗りしていた。大家さんは国外にいた。
●キンバルはまったくコードを書かなかったが、htmlは少し扱えた。イーロンが夜コードを書いていた。
●その時代に話した人のほとんどがインターネットについて理解をしていなかった。サンド・ヒル・ロード(ベンチャー企業が軒を連ねる、シリコンバレーの幹線道路)のベンチャー企業でさえほとんどがインターネットを使ったことが無かった。誰もインターネットでお金を稼いでいなかったが、ネットスケープが出てきて状況が変わった。
●唯一のソフトウェアを取り扱うインターネット会社であったネットスケープで仕事がしたくて応募したけど、返事も来なかった。ロビーで注目を集めようともした。でも当時自分はシャイで誰にも話しかけられなくて、その後自分でインターネット会社をする事にした。
●最初の投資家は60%の見返りの条件で300万ドルを出資してくれたけど、まともじゃないと思った。300万ドルを何者でもない自分達に? でも結局は上手く行って、従業員は始め5名だったけど更にたくさん雇い、ナイト・リダーやニューヨークタイムズなどが投資してくれ、顧客にもなってもらった。
●大手メディアを良く知る機会になったけど、組織が大きくてこちらへの注文も多かった。Yahoo!や他の媒体より良いソフトウェアを提供していたのに、大手メディアを通さなければならなかったせいで正しく使ってもらえなかった。その頃絶対的王者に見えたYahoo!への対抗勢力として、多数の小さい企業を吸収したコンパックが出てきた。ExciteやらYahoo!やらあったね……、あの頃は大手だった。戦略は上手く行けばよかったけど、コンパックは今どこにいるんだか。
ここからキンバル氏が会話に加わる
●(Zip2について)イーロンとキンバルの記憶はかなり違っているよう。キンバルはイーロンがイエローページとミーティングがあるから来いと主張したと記憶しているが、「どうして僕がイエローページの誰かを知っているんだ?」とイーロン。
●それまでの地図との最大の違いはベクタ形式を採用した事で、Zip2以前はただの静止画像だったが、彼らの地図は「ライブ」バージョンだった。このような地図は現在では当たり前だが、当時は不可能な技術に思われていた。JAVAアプレットを使って、画像ではなくベクターデータを使い、地図は非常に速いものになった。Garminはまだその頃なくて、データはNavtechから取っていた。データ開発に300万ドルはかかっていたと思うが、それを無償で提供してもらった。利益が出たら分け前をくれという契約だけで。
●イーロンは実際イエローページの会社は一つも知らなかった。彼らはビジネスを実際に持ち掛けた事があり、本をオンラインに載せるだけで、コストはかなり小さいし、会社の所有権は彼らにありますと説明したが、イエローページ側はものすごく傲慢だった。キンバルに本を投げつけて、「これをお前たちは何かと入れ替えようとしているのか?」と言い、オフィスから投げ出された。
●イーロン以外にもう一人、テスラとスペースX両方で働く人がいる。材料工学エンジニア。
決して順風満帆ではなかった。
●Zip2拠点について。布団がついたソファ、コンロが上に付いた小さい冷蔵庫付きの物件だった。パスタなどとにかく安い物を作って食べ、YMCAでシャワーを浴びていた。その辺にあったジャック・イン・ザ・ボックス(ハンバーガーチェーン)でたまに食べていたが……、キンバルはいまだにそこの食べ物について話すと身震いする。ある日ミルクシェークを買ってきたら何か(恐らく虫)が混入していた。近所の人によると食中毒の危険性がある店舗だった。
●この頃は古き良き日々と言うより、アメリカに留まろうと頑張っていただけだった。キンバルは不法移民状態だった。イーロンもビザは持っていたけど学生ビザで、博士課程をやることが前提のものだった。ビジネスを持ちかけていたベンチャー企業に情報開示をしなければならなくて、車も、住む場所もなくて、更に不法移民だと言うはめになった。
●イーロンはまだビザを持っていたけど、後2年で切れるところだった。しかし彼らを助けたベンチャー企業はすごかった。筆頭投資家の奥さんがカナダ移民で、マスク兄弟が合法移民として滞在し、車を買えるように給料を出すなど手助けてくれた。ビザのごたごたの最中、取引相手にプレゼンをしに引く日の朝、キンバルは母親に会いにトロントに行ったが、入国管理官がアメリカに帰させなかった。そこで友人が彼を車で拾って、バッファローの国境に行き、デイヴィッド・レターマン・ショーを見に行くという言い訳で国境を超えた。
●その後バッファローからサンフランシスコへの深夜便を使って戻り、無事プレゼンに間に合った。それでZip2を作った。
●この頃はまだ多くの人がインターネットが何か分かっていなかった。顧客を最終的に18,000件程獲得し、今はよくあるネット用ツールを開発した。
●エントレンチメントに陥った企業が最大の顧客になると踏んでいたが、新聞がさらに良いパートナーになった。広告部門がクレイグリストに食われ始めており、オンラインにビジネスモデルを移す重要性をよく分かっているようだった。
●自分が作ったテックサービスを普通の人が使ってくれない状況にストレスを感じたイーロンは、スペースXやテスラの前に、別のインターネット・スタートアップ(後のPaypalになるX.com)を開始した。ほとんどの人がダイアルアップ回線を使っていたため、低い帯域幅から始めなければならず、動画のようなものは選択肢に含まれなかった。しかし低帯域幅にはオンライン送金の大きなニーズがあった。Paypalに関しては銀行としての総合的な機能を付けるべきだと思ったが、支払いサービスのみに留まった。
●Paypalの黎明期には、競合しようとしてくる銀行がいくつかあった。Ebayもビルポイントという送金サービスを提供していた。初期のEbayでは物品の支払いが面倒だった。人々は小切手を送りあっていて、決済に相当時間がかかっていた。
●他の大きなライバルはコンフィニティ。ものすごい数の才能ある従業員がX.comとコンフィニティにいて、後に彼らの多くがスタートアップを起業した。LinkedIn、YelpやYoutubeもここに含まれる。ここでX.comとコンフィニティを統合するのがベストだと判断し、3週間で時価総額を1億ドル上げた。幸運なことにこれは2000年の3月で、ITバブルがはじける直前になされた。統合した会社は当初X.comと呼ばれていたが、後に主力商品のPaypalに名前を変えた。イーロンはこの名前が気に入っていない。商品名であってブランドではないから。
Paypalは銀行になるべき?
●イーロンは今もPaypalがただのオンライン決済システムではなく銀行になるべきだと考えている。Paypalの一番のボトルネックであり、コストがかかる部分は既存のバンキング・システムに繋げなければならない点。自身の経済サイクルに人を取り込めば取り込むほど利益は上がり、既存銀行を押さえつける程自分達が力を持てる。
●しかしPaypalは経済システムを構築しなかった。イーロンは経営戦略から外れた。支払いシステムとしてPaypalが明快なシステムである事や、多くのインターネット会社が破綻している事実を考えると、彼が言っている事はリスキーだった。イーロンが考えた通りに実行していたら、才能のあるメンバーも去らなかったし、X.comは今世界一の企業になっていたはず。
●Paypalが簡単で、「退屈な」商品でとどまり、売却された後、創業メンバーはPaypalに興味を失って次に進んだ。(この流れで「Paypalマフィア」と呼ばれる他の会社が出てきた)
●クリプト・コインについてはやはり懐疑的。キャッシュを見る機会はだいぶ減ったが依然必要で、クリプト・コインは主要なデータベースにはならない。
テスラが目指したのはGM?
●テスラを始めた当初、21世紀のGMになりたかったが、4年後にGMは経営破綻した。
●イーロンはリアル・タイムの直接民主主義を支持する。産業が法律を作って、ポジションの流動性が失われることや、人が理解するのに時間のかかる法律を快く思ってはいない。汚職の機会も減る。一般市民を自由にさせるべき。法律を施行するより廃止する方が簡単。
●2001年の12月にキンバルと行った南アフリカの休暇旅行で、マラリアにかかり死にかけた。昔は森の中にマラリア予防薬無しに入っていた。母親が彼に5日間付きっ切りで看病した。この病気で50ポンド(約23kg)痩せ、完全に回復するまでに6カ月かかった。
宇宙へ?
●回復して、次は宇宙に関係したことをやりたいと考えた。「1969年の人類に、2020年になっても人は月に戻っていないなんて話したら殴られるかもしれない。一体どうなってるんだ、人類の未来に対する侮辱だ」って。
●NASAのウェブサイトで、火星に人を送る計画がいつになるのか調べたが、何も見つからなかった。のちにNASAの方針でそれは表に出ないというのが分かった。ブッシュ大統領が火星に人類を送るためのプランを求めた時のNASAの返答が5000億ドルで、これは政治的な自殺行為を意味したため、有人火星ミッションに関しては、NASAは口を封じられた。ここから小さいグリーンハウスを火星に送って、火星移住への興味を再び掻き立てるという、「火星オアシス」の発想を得た。
●2001年に、新しいミッションを達成するため、大陸間弾道ミサイルを買おうとロシアに行った。
●SS-18が廃止される時だった。しかし価格をどんどん吊り上げられて、最終的に2,000万ドル要求されたが出せる金額は900万ドルで、しかも2基必要だった。1基を使って失敗する可能性もあったので。条約が締結されたのでこれらのロケットはいずれにしろ廃棄される予定だったので、軍を通じてどうにか買えないか交渉しに行った。書類にサインする前にかなり値段を吊り上げられて、条件も変えられるのならサイン後もそうされるのは明らかだった。
●ロケットのコストが法外だったため、それを下げるために動く必要があった。ミッションが成功しても、基本的にコストがかかりすぎるので火星に人を送るための物理的なものは作れないのは明らかだった。
●2002年にスペースXを始めた。成功する確率は10%だと思っていた。それまでプライベートのロケット会社を始めようとした人は多くいたが、誰も成功なかった。始めから莫大な金のかかるロケット業界でどうやってちょっとした財産を築く? なんていうのは業界でのジョークだった。
空軍士官学校の観測機器を搭載した初期のロケット発射についての逸話。
●イーロンがテック業界出身というのも彼をサンドバッグにして、「インターネット野郎」と揶揄されもした。ボーイングやロッキードの安定した仕事を捨てて失敗するのが目に見えているような会社に移ってくれるような才能のある人材はほとんどおらず、雇用は非常に難しかった。結果イーロン自身がチーフ・エンジニアになり、いろいろ学ぶ過程で始めは3回のロケット発射に失敗。
●心血を注いで作ったロケット発射は失敗。しかしサテライトは島に戻ってきて、小屋に落ちた。そこでほとんど無傷だったサテライトを回収し、空軍士官学校に返した。「サテライトは無くしませんでした!ちょっと修理が必要かもしれないけど……」
●スタートアップは、始めは楽しい。でも何年もひどい思いをしてようやく日の目を見る。
●2003年にRosenとJBに呼び出されて、昼食をともにした。始めは宇宙に関する話をしていたが、イーロンがカレッジでEVに向けて動いていたことを話すと、tzeroに乗ってみないかと誘われた。イーロンは大いに気に入り、AC Propulsionに商業化するよう説得を試みた。
いよいよEVへ!
●しかし彼らは「本物の車」にする労力が大きすぎるとばかりにまったく興味を示さなかった。イーロンはしつこく頼んだが、彼らが実際に作りたかったのは7万ドルするサイオン。イーロンは「こんなの売れない、せいぜい14台とかそんなものだと思った。しかしこれはかなり馬鹿馬鹿しいアイディアに見えるが、10%出資します。でもこれは絶対に失敗する。もしあなた達がtzeroに出資しないなら、僕がやっても良いですか?」と聞いた。
●彼らは、JBとイーロンがそうしたいならそれは構わないが、他に2つのグループでやりたがっている人達がいるから、彼らとチームを組むのはどうかと提案してきた。他2チームからは1つ(エバーハード氏)しか知らなかったが、「この仕事は楽なものになるぞ!」と思っていた。
●イーロンによると、今まで一緒に仕事をした中では最悪の人物がエバーハード氏。
●彼は文字通り一緒に働いた中で最悪の人物だ。これは書いておきたい。嫌な奴と仕事をしたことは何回もあるけどね、1位になるんだから相当な奴だったという事だよ。彼は僕を、電気自動車会社を作るために説得して引っ張ってきたと言う。何の脈略もなく。完全に嘘だ。僕が電気自動車会社をやろうとした所に、Gageが「君たちでチームを作ったら」と言ったんだ。
●AC Propulsionのパワートレインをエリーゼに入れ込んだ。プロトタイプでは無理やりそのまま詰め込んだ。すべてが間違いだった。重量の配分が変わってしまって、すべての衝突テストを無効にした。エアコンがファンベルトからはみ出して使い物にならなかったのでHVACに変えなければならなかった。結局6-7%の部品しかエリーゼでは使えず、コストはとんでもない額になった。
●2007年に新しい投資家が現れて、会社の会計監査に来た。その時にイーロンは、エバーハード氏が言っているロードスターに関する数字は完全に違っていると教えられた。彼が言っている倍の数字だと言う。赤字にならないためには1台25万ドルで売る必要に迫られた。
●このせいでエバーハード氏を解雇した。その後彼がイーロンを欺いただけではなく、他の従業員にも嘘をつくよう仕向けていたことが分かった。
●CEOを次に誰にするかとなったのだが、デトロイトでは誰もスタートアップのやり方を知らなかったし、シリコンバレーでは誰も車の作り方を知らなかった。キンバルによると、「テスラはイーロンがCEOにならないためにものすごく頑張った会社なんだ!」
●エバーハード氏は2007年の7月に解雇された。その時には彼が他の人に嘘を言うようにコントロールしていたことを知らなかったのだが、彼が去った後に巨大な詐欺を働いていたことに気付かされた。彼は自分がテスラ・モーターズの名前を作ったと言っているがこれは嘘で、95年に別の男性によって作られた。イーロン達はその商標を買わなければならなかった。
●商標を買うのは大変だった。マーク・ターペニングを持ち主の元に行かせて、少なくとも彼が話をしてくれるまでその場を動くのを拒否した。商標が取れなかったら、「ファラデイ」という名前にする予定だった。
●Tesla.comを取るのはさらに大変だった。10年と1、000万ドルがかかった。
(翻訳・文 杉田 明子)
part2に期待!
本に乗ってない新しい話も多くて面白かったです
part2のサマリーも待っています!!