電気自動車「メルセデスAMG EQE 53」を愛車とするレーシングメカニックの草分け的存在、猪瀬良一氏にジャーナリストの赤井邦彦氏がインタビュー。エンジンを知り尽くした方がEVを、EQEを選んだ理由とは? さらに2年半で4台を乗り継ぐことになった波瀾万丈のEVライフなのでした。
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「EVって面白そうだから乗ってみよう」
静岡県小山町の富士スピードウェイに近い山間(やまあい)の高台に、とてもモダンな家屋がある。広い芝生の庭があり、室内からはその庭の向こうに緑を湛えた水田と、遠くに箱根の山々が眺望できる。その家の主人は猪瀬良一氏。レーシングメカニックの草分け的存在であり、日本のレース界を牽引したレーシングガレージ「ノバ・エンジニアリング」の代表を務めた人だ。猪瀬氏はかつて故・風戸裕のメカニックとして世界を転戦し、日本では滝レーシングのメカニックとして活躍し、レース界で知らぬ者はない。
ノバ・エンジニアリングを退社した後は高級老人ホームを運営し、今はそのビジネスも手放し、悠々自適な生活を送っている。自宅の敷地面積は500坪超。田舎とはいえ広大な敷地だ。そこに夫人とメルセデスAMG EQE 53と暮らす。そして、このメルセデスAMG EQE 53との暮らしが、なんというか波瀾万丈なのである。
猪瀬氏がEVに興味を持ったきっかけは、「EVって面白そうだから乗ってみよう」という単純な興味からだった。実は猪瀬氏、究極のエンジン人間だ。それもそのはず、若い頃から何十年にも及ぶメカニック人生で手がけてきたのはすべてレシプロ・エンジン。市販車のエンジンからレーシングカーのエンジンまで、360ccから5000cc超まで、その経験と高い技術力は世界を見渡してもまれな存在だ。その猪瀬氏が、突然EVに興味を持った。
「ポルシェがEVのタイカンを売り出して、へぇ、ポルシェがEVね。面白そうだから乗ってみよう」とディーラーへ出かけた。猪瀬氏はメカニック時代、ドイツのポルシェ本社で長い間働いた。現地のドイツ人メカニックより腕が良く、教育係のようなポジションに就いていたこともある。レースでは何台ものポルシェを整備した。つまりポルシェを知り尽くした猪瀬氏だからこそ、現在のポルシェが作るEVに興味を持ったと言える。
ここで知っておきたいのは猪瀬氏にはEVの知識はなかった……、ということではない。彼にはEVの知識は山ほどあった。バッテリー、モーター、充電、その他何でもござれと言うほどEVには精通している。ただ、それまではEVに興味がなく、所有したことがなかっただけ。しかし、EVが社会に認知されてきたいま、改めてEVを所有してみようという気持ちが沸き起こってきた。「本当に知るには、ちょっと乗ってみただけじゃわからない。持ってみなきゃ、何も言えない」という論理だ。そして、ポルシェジャパンが日本導入を発表したタイカンのEVを手に入れようとディーラーに向かったのだ。2019年11月のことだ。
長距離&高速走行が苦にならないEVを
猪瀬氏のクルマ選びにはひとつの譲れない基準がある。それは長距離ドライブに耐えるクルマであると言うことだ。猪瀬氏は御年85歳にして長距離走行をものともしない。つまり、猪瀬氏の長距離走行に音を上げないクルマであるということ。それにもうひとつ付け加えるなら、高速走行がドライバーの苦にならないこと。この基準は、猪瀬氏が毎年何回か自宅のある御殿場からウインターハウスがある安比高原(岩手県)まで往復する時の経験を元に考えられた条件だ。その距離は東名高速や東北自動車道などを経て約700Km。法定速度で走って7時間以上かかる。ポルシェ・タイカンは猪瀬氏のお眼鏡にかなったということか。
ところが、ディーラーで盛んに試乗を進められ、新車購入時にも本来は試乗しない猪瀬氏がステアリングを握って最初に感じたのは、「EVってこんなもの?」だった。実は猪瀬氏のEV初体験。「感動しなかったなあ」が、その感想だ。
大方の人はEVに初めて乗ると、EVらしさを探す。実際に知識はなくても、トルクがある、静寂だ、なんだかんだと知ったかぶりをする。
ところが猪瀬氏はEVの機械的なノウハウを探らず、安比に行くまでの充電回数を尋ねたり、高速域の放電状態を尋ねたりと、使い勝手を知りたくてディーラーに質問を投げかけた。すると、「満充電でも郡山まで行けません」という答えが返ってきて驚いたりした。
そこで、御殿場から安比までの充電回数を調べてみると、高速道路のSAPAに設置されている急速充電器を出力40kW〜50kW(当時の東北自動車道には90kW以上の設置が進んでいなかった)と想定して、なんと5〜7回の充電が必要! こりゃ駄目だ(余裕をもって充電する慎重な計画ではあるが)、となった。もちろんこの充電に関する問題はポルシェに限ったことではないが、「わずか700kmで7回も充電するというのはねぇ」(猪瀬氏)。
もっとも、この問題は高速道路SAPAの急速充電器高出力化で改善しつつある。では、猪瀬氏がポルシェを諦めた本当の理由は? 実は、内装の出来が彼の基準には達していなかったのだ。「オプションを付けて2000万円のクルマの内装とはとても思えなかった」。
次に向かったのはアウディのディーラー。アウディe-tron GTが出たと聞いたからだ。猪瀬氏は以前アウディ車を所有しており、クルマの作りの良さは知っている。それだけに期待を込めてディーラーに行ったのだが、なんと言うことか、ディーラーの対応が非常に悪い。注文して納車はいつになるのかと尋ねたら、現時点ではわからない、デポジットを入れてくれたらその時点でいつ生産に入るかわかると思う、との返事。受注注文でもないのに、この対応には流石の猪瀬氏も呆れてディーラーを後にした。
その足で向かったのがBMW。ここでも猪瀬氏は期待を裏切られた。クルマにではなくディーラーのセールスマンに。全く話が通じない。BMW i7のカタログを所望したが、用意されていない。価格を尋ねても「しょっちゅう変わるので注視しておいてください」とのこと。具体的に技術のことを尋ねたら、上司に聞いてきます、という返事。セールスマンの教育が全く行き届いていないと感じた。あまりの手際の悪さに、同行した家人が、「このディーラー駄目ですよ。帰りましょ」と発言するほどだった。
短距離を試乗した感じではBMWが一番良いクルマだと思ったが、クルマ購入はクルマの評価だけでは決まらないということを身をもって体験した。ディーラーのセールスマン諸君、猪瀬氏のように何十年もクルマ業界で生きてきた方でも、真っ白な気持ちでディーラーへクルマを買いに来るんですよ。色々と尋ねてくる客は素人ばかりではありません。そのことを念頭に、真摯に対応することが求められます。毎日勉強ですよ。
選んだのはメルセデスAMG EQE 53

2022年9月に日本発売が発表されたEQE。猪瀬氏が購入した「メルセデス AMG EQE 53 4MATIC+」の車両本体価格は1922万円(税込)。
さて、ドイツ3メーカーのEVに振られた猪瀬氏、もうEVへの熱は冷めたかと思いきや、そうでもなかった。そして、最後にたどり着いたのがメルセデスAMG EQE 53だった。やはりドイツのクルマだ。彼はこれまでに何台ものメルセデスを乗り継いできて、品質の高さは重々承知。とはいえメルセデスのEVを所有するのはもちろん初めてで、期待と不安が入り混じった。
メルセデスAMG EQE 53の日本での受注が始まったのは2022年9月。ヤナセで注文して納車日を待った。納車されたのは11月。AMG仕様となると日本に入る台数も少なく、ましてやその第1号となるとすんなりとはいかなかったが、ディーラーの対応は合格点。納車されるや時間を惜しむように東北道を岩手県安比高原まで走った。
自宅のある御殿場から安比高原まではスムーズに走行できた。距離は700Km弱。ただ、とくに東北自動車のSAPAには出力90kW以上の急速充電器の設置が十分でなかったせいで、途中数回の充電を行った。たとえば、最大出力150kWの急速充電器があれば、満充電で600Kmは楽に走れるメルセデスAMG EQE 53なら、途中1回の充電で十分だったのだが。
編集部注:現在では羽生PA(下り)、那須高原SA、国見SAなどに150kW器が設置されています。
しかし、ドラマは安比高原に着いてすぐに始まった。突然バッテリー上がり(補機用12Vバッテリー)のような状態になり、室内灯以外の電源がすべて落ちてしまったのだ。何もかも機能を失って、パーキングブレーキすらリリースできない状態だった。こうなるとドライバーは何もできない。再度電源を入れてみたが、すぐに落ちてしまい、問題解決は専門家に委ねるしかないと認識を新たにした。このとき、EVの弱点を突きつけられた気がした。「こりゃ参った」と思いながらも、メルセデス・ケアなるサービスに連絡を取ると、30分もしないうちにキャリアカーが到着した。さすがメルセデスと感心したが、そもそもトラブルが起こらなければメルセデス・ケアを使う必要はないのだ。
結局、故障の原因は不明だった。エンジン車なら猪瀬氏がちょちょいと直すのだろうが、EVでは手が出せない。ヤナセからは「恐らくソフトのトラブルですが、本国に問い合わせても現時点では解明出来ていません」との連絡が来た。ただし、「1ヶ月以内には対処できるはずです」とのことだったのだが、1ヶ月経ってもトラブルの原因はわからなかった。
猪瀬氏には、かつて世界をリードしたドイツの自動車技術が凋落するのを垣間見たように思えた。それは、恐らくここ20年の間にIT産業が中国で花開いた結果だろう。世界中の企業が安い労働力の中国に多くの仕事を回した結果、中国は知識と技術力を身につけ、IT産業では世界をリードする国になったのだ。自動車産業はその最たるもので、今やそれなくして動かなくなった自動車の頭脳、つまりソフトウエアは中国の企業が世界中の自動車メーカーから受注を受けているのが現状だ。メルセデスにしてもしかり。ドイツの本社工場で手に負えないトラブルは、開発を担った中国の企業に解決を依頼しなければならないのだ。結局、約束の一ヶ月が過ぎてもトラブルの原因はわからなかった。メルセデスにとっても初めてのトラブルという。本社も全力で原因を探ったのだろうが、時間が足りなかった。
相次ぐトラブルで現在のEQEが4台目

EVへの思いを語ってくれた猪瀬良一氏。
2023年1月、ヤナセから新しい提案があった。最初のクルマのトラブルが直るまで代車として同じAMG EQE 53に乗っていて欲しいというものだった。猪瀬氏はその提案を受けて、元のクルマが直るまで代車を足にした。ボディカラー(最初のクルマはブラック、代車はホワイト)以外はすべて猪瀬氏が購入したクルマと同じだった。
次にヤナセから連絡が来たのは2023年の4月。「なんとか直そうとしたが無理だった。代車のままでは申し訳ないので、新しいクルマをお届けする」という連絡だった。やって来たのはブルーのボディカラーに、インテリアはホワイト。猪瀬氏はその3台目(正式には2台目)のクルマを気に入った。
ところが、納車から4日目、またもやクルマに不調が出た。突然バッテリーインジケーターが残量10%を表示するようになった。充電したばかりでもバッテリー残量が10%。明らかにインジケーターのトラブルである。原因はセンサーの不具合だった。
しかし、またいつ問題が出るかもわからない。そこで再びヤナセは新しいクルマを勧めてきた。そして、4台目のAMG EQE 53としてやって来たのが現在所有しているマットホワイトのEQEだ。このマットホワイトも猪瀬氏は非常に気に入っている。「洗車が非常に楽ですね。特殊な塗装なんでしょう、汚れがほとんどつかない。ついてもすぐに落ちます」
これで猪瀬氏のトラブル物語はやっと終焉したかに見えた。しかし、最後にこれでもか、とトラブルがやって来た。マットホワイトのAMG EQE 53は納車されて間もなく、スマートフォンでの通話ができなくなった。車載の携帯電話機能はいまやほとんどのクルマの常備装置だ。ところが、猪瀬氏が入手したばかりのメルセデスでその機能が使えない。ディーラーは「すぐに直してお持ちします」と、工場に持ち帰った。だが、すぐには直らなかった。また代車が提供され、1ヶ月経ってようやく修理が完成したとクルマが戻ってきた。トラブルの原因はまたしてもセンサーだった。
要約すると、猪瀬氏のEV歴は、実に様々なトラブル、問題点が詰まったロードムービーのような物語となっていた。メルセデスAMG EQE 53だけに関しても、時系列で並べると、以下の様になる。
<2022年9月>
●メルセデスAMG EQE 53(ブラック)1台目を注文
<2022年11月>
●納車
●納車翌日に安比高原へ出発
●安比高原に到着直後に全電源喪失
<2023年1月>
●AMG EQE 53代車(ホワイト)2台目
●1台目のトラブルの原因は不明
<2023年4月>
●AMG EQE 53(ブルー)3台目が納車
●納車4日目、インジケーター誤表示(センサー不調)
●トラブル完治せず
<2024年7月>
●AMG EQE 53(マットホワイト)4台目が納車
●納車早々に車載携帯電話機能不調
●なんとか完治
トラブルのデパートとはこのことだ。それでも猪瀬氏はメルセデスAMG EQE 53を乗り続けている。2年半で代車を含めて4台のAMG EQE 53を乗り継いだ。
「クルマは機械です。人間の作った機械は壊れるものなんです。壊れたら直せばいい」というのが猪瀬論理。それでも時折、心が折れそうになったという。猪瀬氏がお手上げだったのは、連続して襲ってきたトラブルがすべてソフトウェア関係のものだったからである。そうなると素人は手が出せない。猪瀬氏にしてもソフトウエアに関しては門外漢。その働きは理解できても修理までは無理だ。
ここで猪瀬氏が立て続けに遭遇したトラブルだが、それらが必ずしもEVだから発生したというものでもなかろう。レシプロ・エンジン車にも起こりうるトラブルである。ただ、駆動系、操作系等すべてがひとつのバッテリーから流れる電気で作動するとなれば、ソフトウエアのどこか一カ所が不調に陥ったとき、クルマのすべてが停止してしまう。「予備バッテリー繋いでエンジン掛けるぞ!」とはいかないのだ。
とはいえ、猪瀬氏はこの一連のトラブルに関して、ソフトウエアという手が出せないものへの不満は感じながらも、その時々は楽しんだとも言う。「機械は壊れる」という至言を胸に、猪瀬氏はこの先もEVに乗り続けるそうだ。
「スムーズで、力強く、素晴らしい乗り心地ですよEVは。それ以上はないでしょ、クルマに求めるものは」
猪野氏は、それでもEVを気に入っている。

EQEでロングドライブを取材中の筆者。最近は高速道路SAPAに出力150kWの急速充電器が増えてきた。
取材・文/赤井 邦彦 写真/三代やよい
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