電動バイク開発責任者による特別授業
秩父農工科学高校は、産業のスペシャリスト育成を目指していて、農業科、森林科学科、ライフデザイン科など多岐にわたる学科があります。この日の特別授業は、機械システム科と電気システム科の2年生を対象に実施され、76人が授業を受けました。
ホンダは「2050年にHondaの関わるすべての製品と企業活動を通じて、カーボンニュートラルをめざす」と宣言しています。同じく埼玉県と秩父市も2050年のカーボンニュートラル達成を掲げています。特別授業は、次世代を担う高校生に、脱炭素社会を目指す具体的な取り組みについて理解してもらい、現状や課題を共有しよう、という趣旨だったそうです。
「本日の授業を通じて、電動バイクの仕組みを知り、カーボンニュートラルと電動モビリティについて考えるきっかけにしてください」
講義を行ったのは、本田技研工業の社員で、電動バイク「ホンダEM1 e:」開発責任者の後藤香織さんと、EM1 e:の開発責任者代行だった内山一さん(現在はホンダ・レーシングに異動)。
受講者は機械や電気を学ぶエンジニア予備軍なので、「将来の仕事」をイメージした生徒もいたでしょう。まずは後藤さんから、車両開発がどのように進められるのかというレクチャーがありました。社内のエキスパートを集めてプロジェクトチームを組み、「考える」「作る」「試す」を繰り返して、開発が進んでいく、と解説。工業高校出身の社員が仕事の楽しさや難しさを語るインタビュー動画も流されました。
EVを買いたい人? の質問に挙手はゼロ……
続いて本日のテーマであるカーボンニュートラルについての講義です。温室効果ガス削減を目指す取り組みはさまざまですが、有効な手段のひとつと考えられている電気自動車(EV)や電動バイクに、高校生はどんなイメージを持っているのか。後藤さんが「乗ってみたい人」と質問を投げると、数人がぱらぱらと手を挙げましたが、「では、買ってみたい人」と聞かれると、挙手はゼロ。
多少興味はあるけれど……、高校生は率直ですね。電動バイクの開発者を前に、大人なら気を遣って挙手しちゃうかも。どうして購入を考えないのかという再質問に、「航続距離が短いのが心配」「充電できる場所が少ない」「充電に時間がかかる」といった声が上がりました。
「そうですよね」と後藤さん。続いて示された資料には電動モビリティ普及に向けた課題として「充電時間」「航続距離」「バッテリー回収」「コスト」という4項目が記されていました。高校生、ばっちり正解です。後藤さんは、こうした課題解決のために、ホンダ、カワサキ、スズキ、ヤマハの国内二輪4社が、2021年3月に電動二輪車用交換式バッテリー(Mobile Power Pack、以下MPP)の相互利用を可能にする標準化に合意したことを説明。さらに、2022年4月からはMPPを使った交換式バッテリーステーションのサービス(Gachaco)が始まっていることも紹介されました。
そしていよいよ、MPPを駆動用バッテリーとして使っている「ホンダEM1 e:」の解説です。「ちょうど e:(いい)スクーター」というコンセプトでスタートして、ユーザー層の幅広い原付一種のカテゴリーに。一般的な利用法なら航続距離は30〜40kmあれば十分という判断から、業務用のBENLY e:には2つ入っているMPPは1つとした。その分軽くて取り回しも楽になっている。そんな開発ストーリーが明かされました。
小休憩を挟んで、内山さんが登壇しました。EM1 e:を題材に、電動モビリティの仕組みや特徴について解説していきます。興味深かったのは、開発段階でのテストの動画。あいにく撮影不可だったのですが、耐衝撃性や耐水性を確かめる様子を見せてもらいました。かなりハードに感じられましたが、バッテリーの発火や感電の不安があるようでは、それこそ普及は難しくなります。しっかり確かめて当然ということですね。
ゼロ回転から最大トルクを出すモーターの利点など、筆者はEM1 e:オーナーでもあるので、個人的に知っている話も多かったのですが、「そうなのか」と驚いたのは、アクセルのセッティング。あえて開度と比例させず、じわっと開けたときはパワーは控えめ、大きくひねった時はパワフルに感じるようにチューンしているそうです。限られたパワーで乗り手をどう楽しませるか、いろいろ考えているんですね。これぞ繊細なモノづくり。高校生のみなさんにも刺激になったのでは。
電動バイクで隊列組んで走行体験
午後は教室を出て、EM1 e:を使った安全運転講習会が開かれました。まずは埼玉県警秩父署の白バイ警官による交通安全指導から。死亡事故例を挙げながら、ヘルメットのあごひもは必ず締めること、それに胸や背中を守るプロテクターをできれば装着してほしい、という要請がありました。
講習用に準備されたEM1 e:は8台。参加者は順番に電動バイクによる走行を体験しました。ホンダのスタッフからは、ほとんど無音で微速からパワフルなので、発進にはくれぐれも気をつけて、と注意がありました。「スタンドを外してシートに跨ってから、キーをオンにしてくださいね」。静粛性や操作の手軽さ、そしてパワフルなことはメリットでもあるのですが、乗り手の慎重さも必要とされます。
受講者は隊列を組んで、校舎前のロータリーを一回りしてから、学校の広い敷地をぐるっと半周します。マイヘルメット持参のバイク通学組も多く、見ていてもあまり不安を感じさせません。千鳥隊列を組んでの走行もお手のものです。何台並んでもやっぱり無音なのは電動バイクならでは。走行中も講師の声がしっかり聞こえたのでは。
高校生とバイクというと、私自身はいわゆる「三ない運動」(免許を取らせない・運転させない・買わせない)を連想する昭和世代ですが、1990年代以降は各地で見直しの機運が高まっていて、埼玉県も「三ない運動」は廃止済み。2019年からすべての県立高校で免許取得が認められていて、生徒向けの安全運転講習も行われています。
スタッフの方に聞いたところ、「埼玉県は秩父のような中山間地域が多くて、バス停や駅まで送迎したり、交通費が高くついたりすることを考えると、バイク通学ができるメリットは大きい」のだそうです。いずれ車やバイクに乗るのなら、早いうちから安全運転を学んでおくのは、けっして悪いことではないですよね。
初体験の電動バイクは「すごくいいですね」
講習会のあと、戻ってきた生徒さんにコメントをもらいました。
「ホンダはVTECなどエンジン技術が優れていて憧れだったので、講義がすごく面白かったです。電動バイクは初めてだったので、不思議な感じでした。すごくいいですね」(電気システム科、森太一さん)
「音も振動もないので、疲れにくそう。加速は少し物足りなかったけれど、珍しいバイクだというのはいいですね。今のバイクが乗れなくなったら候補にしたい」(電気システム科、佐藤誠拳さん)
「エンジンだと回転数が上がるまでにラグがあるけれど、モーターはダイレクトでスムーズ。発進がギクシャクしないので、誰でも乗れそう」(機械システム科、肥土大樹さん)
この日は講義を受けなくても安全運転講習会に参加できたので、他の学科の生徒も参加していました。バイク通学している新井颯七さん(ライフデザイン科)は「エンジンのバイクと違って、アクセルをひねった瞬間に走るのがすごかった。静かなのがいいですね」。一緒に走行した小池美羽さん(フードデザイン科)はじつは免許取り立てで、初のライディング体験が電動バイクに。「ちょっと怖かったけど楽しかった」とニコニコ顔でした。四輪では、最初のマイカーがEVという話も聞くようになりましたが、二輪もいずれ、電動ネイティブなライダーが出てくるかもしれません。
筆者はもう半年ぐらいEM1 e:を日常使いしていますが、最新の技術でこれまでにない魅力を追求したモビリティだと実感しています。ただし、二輪車の電動化がそう簡単ではないのも事実。講義の中で航続距離や充電インフラについての指摘が出たように、次代を担う高校生もどうやら課題はしっかり把握してくれている様子でした。「考えるきっかけにしてください」という特別講義のテーマ通りに、この日の受講生から、持続可能な社会づくり、モノづくりに取り組んでくれる人が出てきてくれるといいですね。
取材・文/篠原 知存