自動運転によって、運転する人は本当にまったくいなくなるのか?

アメリカのウェブメディア『CleanTechnica』に『自動運転車は本当に全て人間のドライバーと置き換わるのか?』と題した興味深い記事が掲載されました。自動運転と相性がいいとされる電気自動車(EV)シフトが世界中でますます加速する中、ぜひ考えておきたい課題です。

自動運転によって、運転する人は本当にまったくいなくなるのか?

元記事:Are Self-Driving Cars Really Going to Replace All Human Drivers? by Jennifer Sensiba on 『CleanTechnica

自動運転で運転する人が増えるかも?

アリゾナ州の人々は自動運転車両に攻撃を加え続け、Waymo(アメリカの自動運転開発企業)はその憎しみを向けられつつも辛抱強く耐えています(参照記事※全英文)。フェニックス近郊のチャンドラーの住民は、自動運転車両のタイヤを切り裂き、石を投げ、道路から追い払い、車両にいるバックアップドライバーを本物もしくは模造品の武器で脅すことさえしています。全ての加害者が見つかったわけではありませんが、警察は捕まえた犯人たちに動機を聞きました。何人かは車両が安全ではないという不安を抱えていることを表明しましたが、ほとんどの人はレポーターと警察に「自動運転車両が人間に代わって運転に関する仕事とその自由を奪うことを恐れている」と話しました。

自動運転車両が人間に取って代わるというのは一見かなり明白な予測に思えるのですが、物事が常に表層的な部分と同じように動くわけではありません。
シンギュラリティ・ハブ(シリコンバレーを拠点とするバーチャルユニバーシティとスタンフォード大学がコラボした論文発表や意見交換サイト)の上でByron Reese氏は「新しい技術革新に対する恐怖というのは目新しいものではなく、職業を破壊してきた記録も無い」と指摘します(参照記事※全英文)。

ATMによって銀行の窓口係が全滅させられたどころか、今日では以前よりも多くの窓口係がいます。コンピューターの翻訳プログラムによって、実際には人間の翻訳者の需要が高まりました。Reese氏は他にも多くの読み応えのある例を出していますが、その共通点とは、ビジネスのためのコストは新しい技術によって下がり、さらに新しいビジネスへと導き、やるべき事が増え、結果として仕事が増える、という事です。

自動運転車両の開発者や推進者はその利益に注目を集めたがりますが、これだけでもさらに多くの仕事を生み出せ、減少させる方向には行きません。渋滞や事故が減り、ストレスも減るということは運転のためのコストと時間を減らすのに役立ち、長期的な目で見ると雇用を破壊する可能性は低い(新たなビジネスモデルの可能性を広げることに繫がる)でしょう。

しかし運転に関する職業の存続だけが心配の種になっているわけではありません。人間が自分で運転する自由についてはどうなるのでしょう? 最終的に安全ではないと政府に禁止されてしまうのでしょうか? もしくは自動車保険が普通の人では支払えないほど高くなるのでしょうか?

未来に何が待ち受けているか、現段階で100%知ることはできませんが、人間による運転が終わりを迎えるというのは既定路線ではありません。一般的ではありませんが、地方ではスポーツやレクリエーション目的で馬に乗る人がいまだに多くいます。しかしモーター化された交通手段が馬に取って代わって100年経っても、高速道路を除いて、路上での乗馬を制限する法律はほとんどありません。

Reese氏が指摘する銀行窓口係の例のように、自動運転車両により人間が運転する車両が増えることもあり得そうです。これが起こる理由として、運転がより簡単で、安く、ストレスが少なくなるということがあります。車の事故は、人口全てに均一に起こっているわけではありません。10代、高齢者、そして特定の都市にすむ人々はその他のドライバーに比べてより多くの事故を起こす傾向にあります。同じ年齢やその他人口統計の中にあっても、人と比べて単純に安全ではないドライバーはいます。多くのこれらの運転下手な人々は運転が大嫌いで、自発的に(自分が運転席に座りつつ)自動運転を選ぶでしょう。

少ない割合のひどいドライバーをハンドルから離してあげるだけでも、他の人々には大きな影響を及ぼすことになりえます。エラーや事故が少なくなれば、運転はより簡単でストレスも少なくなるのです。保険の金額も全体的に安くなり、特に現在でも金額(運転するためのコストやリスク)が高い都市部ではその恩恵が大きくなるでしょう。

覚えておいていただきたいのが、自動運転車両が0か100かの選択肢ではないという事です。多くの車両が人間をコントロールするのではなく、助けるためにドライバーアシスタンス機能を付けて届けられています。車線変更警告、ブレーキ警告、ABS、自動緊急ブレーキ、車線キープアシスタント、眠気探知機、その他多岐に渡る機能が安全性を高めています。

飲んだら乗るな→「飲んだら自動運転」に?

さらに、疲れている時や気が散っている時、酔っている時など安全ではない状態の時に、自動運転を使うことによって自分で運転する必要がなくなります。このようなシステムを使えるという安心は、するべきで無い時に運転してしまう(飲酒運転など)という事態をなくしつつ、私達を目的地まで連れて行ってくれます。

ドライバーによって完全に自動運転にコントロールさせる人、時々させる人、もしくはアシスタンスや警告機能だけに留めるだけの人と使い分け、人間の運転する車両を禁止する必要も、もしかするとまったく無しに、道路はより安全な場所になるでしょう。人間が運転する車両を見ることは少なくなるかもしれないし、多くなるかもしれないし、変わらないかもしれません。いずれにせよ、ゼロになることはほとんどあり得ないでしょう……少なくとも私達が生きている間には。

(翻訳と文・杉田 明子)

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					杉田 明子

杉田 明子

2010年代に住んでいた海外では'94年製のフォード→'02年製のトヨタと化石のような車に乗ってきました。東京に来てからは車を所有していないのですが、社用車のテスラ・モデル3にたまに乗って、タイムスリップ気分を味わっています。旅行に行った際はレンタカーを借りてロードトリップをするのが趣味。昨年は夫婦2人でヨーロッパ2,200キロの旅をしてきました。大容量バッテリーのEVが安くレンタルでき、充電インフラも整った時代を待ち望んでいます。

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