後輪2モーターのEV〜アウディ『e-tron Sモデル』に感じる新しい自動車の可能性

2020年2月28日、アウディが電気自動車(EV)の「e-tron」と「e-tron スポーツバック」に追加する「Sモデル」のプロトタイプを発表しました。最大の特徴は前輪1モーター、後輪左右独立制御の2モーターという、量産EV初の「3モーター」になることです。

後輪2モーターのEV〜アウディ『e-tron Sモデル』に感じる新しい自動車の可能性

Sモデルは後輪を左右独立して制御する2モーター駆動

アウディは現在、「e-tron」と「e-tron スポーツバック」それぞれに「50クアトロ」と「55クアトロ」の2つのラインナップを市販しています。

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今回、追加される予定の「Sモデル」はこれらの上位モデルになります。とはいえ、単に装備やパワーが上がっているだけではありません。量産EVでは初となる、後輪を左右別々に駆動するシステムを採用しているのが最大の特徴です。つまり、前輪に1個、後輪に2個の3モーターになっています。

3モーターの出力は強力で、前輪のモーターは124kW(ブースト時に150kW)、後輪は2個合計で196kW(ブースト時に264kW)になります。ただし、システム上の最大出力は320kW(約435ps)に制御されています。この時の最大トルクは808Nmです。また連続8秒間を上限に使えるブースト時には370W(約503ps)、973Nmになります。

Sモデルの前輪のモーターは、e-tron 55クアトロ(またはスポーツバック)のリア駆動用に搭載されているモーターを改良したものです。もともと主動力用だったものをアシストに使っているのですから、パワーも上がるわけです。走行性能は、0→100km/h加速が4.5秒、最高速度は210km/hに制限されています。

最大の特徴は「電動トルクベクタリング」

e-tronは、普段は後輪駆動で走行し、トラクションの変化など必要に応じて前輪を駆動させて車を安定させるシステムを持った全輪駆動です。

これに対してSモデルは、通常走行が後輪駆動なのは同じですが、左右のホイールを別々のモーターで駆動するようになっています。当然ですがデファレンシャルギアはなく、動力はモーターの軸から減速機を介してホイールに直接、伝達されます。また2つのモーターは、個別のコントローラーで制御します。

後輪2モーターシステムの構造。

アウディはこの後輪の左右独立制御を「電動トルクベクタリング」と呼んでいます。全部を日本語にすると、電動推力制御機構という感じでしょうか。モーターのトルクを制御することで、車が向かう方向をコントロールするという意味ですね。

メカニズムを解説するアウディの公式動画も公開されています。電動トルクベクタリングの仕組みは、動画の2分45秒、3分20秒くらいの部分を見ると、コーナリングの時の制御がわかると思います。また、路面の凍結などで左右まったく違う μ(摩擦係数)になった時の状況は3分40秒のところで紹介されています。

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簡単に言うと、コーナリング時にはトラクションに応じて左右の後輪それぞれにトルク配分をしていきます。また路面状況が左右で違っている時には、スリップを検知した方のホイールのトルクを急速に減らすことで挙動を安定させます。

むりやりに例えれば、LSD(リミテッド・スリップ・デフ)を自由自在に、かつ瞬時にコントロールできるという感じでしょうか。電子制御LSDの進化版のようなものとも言えそうです。

コーナーリング時の車体制御には4輪操舵システムもありましたが、左右のタイヤを別々に動かすことができれば制御範囲は飛躍的に高まります。しかも電動モーターならトルク変化の応答速度も間違いなく速くなります。

このためコーナーリングだけではなく、凍結、砂、水たまりなどリアルワールドでよくある路面状態の変化にも、左右の後輪を別々に制御して対応することが可能になっています。内燃機関では真似できない、EV独特のシステムのひとつです。

だからこそアウディは、ニュースリリースの中で、「quattroテクノロジーの発売から40年後、アウディは4輪駆動の原理を、まったく新しいレベルへと引き上げました。その結果、より俊敏で自然なハンドリング特性が実現し、コーナリングスピードが向上しています」と自信を見せているのでしょう。

電動トルクベクタリングの可能性を考えてみた

EVではこれまでにも、インホイールモーターを使った全輪駆動システムが試作車として登場したことがあります。インホイールモーター8個の8輪車もありました。でもインホイールモーターはバネ下の荷重が大きくなるためショックを吸収するのが極めて困難で、マスプロダクションに採用したメーカーはまだありません。

それでも、ホイールを別々に制御できることがEVならではなのは間違いありません。アウディの電動トルクベクタリングがさらに進化していけば、いつかは4輪独立制御になるかもしれません。そうなると、必要性の有無はともかく、ホイールを進行方向に向けなくても、モーターの回転数制御だけで方向を変えることもできたりします。

それは先の話ですが、後輪のトルクベクタリングだけでも、車の操作性はまったく違うものになる可能性があります。

たとえば、アイシン精機は昨年、レクサスISの後輪を2モーターにした試作車を公開し、メディア試乗会(『Car Watch』記事にリンク)を行っています。試作は技術の可能性を見せるためのものであって、すぐに市販されるわけではありませんが、インプレッションが載った記事を読むと操作性の向上が好意的に受けとめられています。小さなステアリング操作でも、確実に車の向きが変わることなどが感じられたようです。

少し特殊な例ですが、木野は2007年に日本EVクラブが製作した後輪2モーターのレーシングカート、通称「電動クルクルカート」に試乗したことがありました。この電動カートが、とにかくよく曲がるのです。

どのくらい曲がるかというと、その場でクルクルと回転運動ができるほど、よく曲がります。左右のホイールを逆回しにすることができたので本当に回転できました。フルパワーで回転すると、ドライバーの身体が宙に浮くほどでした。日本EVクラブの舘内端代表は、プロペラを付けて空を飛ぶんだと冗談を飛ばしていました。

日本EVクラブが2007年に製作した、「電動クルクルカート」が回転中。乗っているのは舘内端代表。

通常のレーシングカートはデファレンシャルギアがついていないので、曲がるためにステアリングを切ろうとすると、非常に強い力が必要です。そのため日本EVクラブでは、2007年にクルクルカートを作った後、子ども用のキッズカートに2モーターシステムを搭載し、小さな子どもでも走りやすい車に仕上げました。日本EVクラブでは今後、2モーターの電動カートでスケートリンクを走るイベントも実施予定です。氷の上を走るのに、2モーターの旋回性が非常に有効なのです。

このように、後輪2モーターができることは走行中のトルク配分にとどまりません。例えば、車のアタマを駐車スペースに突っ込んだあと、フロントを中心にしてリア側を円のように動かし、狭い場所に入り込むことも可能です。まあ、タイヤが太いと動きがぎこちなくなると思いますが、車のサイズや仕様によっては、そういうこともできます。

アウディe-tronのSモデルは、これまで試作にとどまっていた乗用車への2モーターシステムの搭載を現実に近づけました。発売時期はまだ決まっていませんが、それほど遠い未来でもないかもしれません。この車が公道に登場した時、ただ早いだけではない、車の新しいカタチのひとつを見せてくれるのかもしれません。記事を書きながら、そんなことを妄想していました。

(文/木野 龍逸)

追記(2020.4.15)

この記事を出した後で寄本編集長から、「ロータス・エヴァイヤが4輪モーターだった!」と連絡があり、改めて確認したところ、リード文で「市販車初」と表記したのは少し微妙であることがわかりました。エヴァイヤは価格が2億円超なのと、130台限定なので量産とはいえない数ですが、市販はしていました。確認不足、申し訳ありません。このため文中の表記を「市販車初」から「量産車初」に修正しています。

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その後のエヴァイヤがどうなったかが気になったので確認してみると、今年夏に生産が始まるという記事(『Autocar』記事にリンク)がありました。当初予定の130台は完売していて、さらに追加されるかどうかは発表されていないようです。

それにしてもEVsmartブログの寄本編集長の記事を読むと、4輪モーターを左右で逆回転されると小回りできると書いていて、この人もクルクルカートのことを思い出したんだなと思いました。年取ってくると昔のことほどよく思い出すようになるというのもありますが、クルクルカートはそれだけ印象が強かったのは間違いありません。少なくとも木野にとっては、もっとも衝撃的な乗り物トップ3に入るマシンでした。

追記 お詫びと訂正(2020.4.21)

記事リード部と本文で「量産車初」としていたことについて、2016年にモデルチェンジしたホンダ「NSX」のハイブリッド車(HEV)が量産車初の3モーターだというご指摘がありました。アウディのニュースリリースでは「世界初の量産電気自動車」となっていたのですが、修正時に電気自動車を省いてしまいました。前記「市販車」の件に続き、関係者の皆さまにご迷惑をおかけしたことをお詫びし、訂正させていただきます。

ロータス エヴァイヤと同様、その後のホンダの3モーターハイブリッドの状況についても記載しておきます。

ホンダは3モーターハイブリッドのシステム「SH-AWD」をNSXとレジェンドに搭載していました。NSXが搭載している3モーターは後輪35kW、前輪27kW×2個です。レジェンドは、モーターの出力は同じなのですが搭載位置は前後逆の前輪1モーター、後輪2モーターで、両車ともに独立した左右のモーターでトルクベクタリングを機能させるものでした。ちなみにNSXのエンジン出力は373kW、レジェンドは231kWなので、動力源としてのモーターはプラスアルファを得るための機能ということになります。

しかし、残念ながらホンダは3モーターのハイブリッドシステムについては開発を中止し、2モーターにリソースを集中させることが報じられています(日経クロステック記事にリンク)。ホンダはEVの「ホンダe」を発売予定ですが、トヨタと並んで1990年代から電動化に取り組んできた先駆者として、これからも独創的なEVやHEVを作りだしてくれることを期待したいと思います。

この記事のコメント(新着順)2件

  1. マツダのトルクベクタリングコントロールの記事を初めて読んだ時、電動ならもっと細かくかつ大胆に出来るのにと思った記憶があります。
    案の定MXー30では進化形が採用されるらしいし、自動車の高性能化と安全性向上には電動化は向いていると再認識しました。

  2. 今後、プレミアムカーセグメントではモーターによる各輪制御が主流になりそうですね。
    エンジン車のトルクベクタリングと違い、片輪はパワーオン、もう片輪は回生充電もしくは逆転なんてことが出来ますからね。
    既にリビアンがこれを使ったタンク(戦車)モードを発表済ですしね。
    とてもワクワクします。
    個人的には早くインホイールモーターを量産車に搭載してもらいたいですが、中国のメーカーに先を越されてしまいそうな状況です。
    インホイールモーターのバネ下重量の件ですが、8輪駆動EVの生みの親である清水先生とお話ししたことありますが、高剛性化が進んだ現代の車では問題にならないとおっしゃっていました。(メーカーとの共同試験でも問題として上がらなかったそうです)
    そもそも、バネ下という言葉からボディに足回りがぶら下がっている様に錯覚しますが、現実は正反対で足回りの上にボディが載っていますから、バネ上の重量の方が余程影響大きいんですけどね。

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この記事の著者


					木野 龍逸

木野 龍逸

編集プロダクション、オーストラリアの邦人向けフリーペーパー編集部などを経て独立。1990年代半ばから自動車に関する環境、エネルギー問題を中心に取材し、カーグラフィックや日経トレンディ他に寄稿。技術的、文化的、経済的、環境的側面から自動車社会を俯瞰してきた。福島の原発事故発生以後は、事故収束作業や避難者の状況のほか、社会問題全般を取材。Yahoo!ニュースやスローニュースなどに記事を寄稿中。原発事故については廃棄物問題、自治体や避難者、福島第一原発の現状などについてニコニコチャンネルなどでメルマガを配信。著作に、プリウスの開発経緯をルポした「ハイブリッド」(文春新書)の他、「検証 福島原発事故・記者会見3~欺瞞の連鎖」(岩波書店)など。

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