EV創世記【第11回】アメリカの電気自動車 VS T型フォード〜EVはなぜ駆逐されたのか?

そもそも、なぜ世界にEVシフトが必要なのか。日本EVクラブ代表の舘内端氏がEVの原点を探求し考察する連載企画。今回は、20世紀を前にアメリカで最初の隆盛期を迎えた電気自動車がT型フォードに駆逐された歴史を掘り下げます。

EV創世記【第11回】アメリカの電気自動車 VS T型フォード〜EVはなぜ駆逐されたのか?

※冒頭写真は、T型フォードでドライブを楽しむ夫婦の肖像(1913)。

アメリカの国民EVはT型フォードに蹴散らされた

現在、欧州と特に中国で雨後のタケノコのように新型EVが発表、発売されている。これから米国でも新型EVがぞくぞくと発表されるのは確実だ。遅れてしまった我が日本は、仕切り直して軽EVから再スタートである。

時代はさかのぼるが1900年前後の米国では、現在のEVの興隆など簡単に吹き飛ばすほどの新興EVメーカーが生まれ、数多くのEVが登場した。米国の国民EVの誕生といってよい。

だが、1930年には多数のアメリカン国民EVは、20年ほどで瞬く間に蹴散らされた。蹴散らしたのは1908年に発表されたT型フォード(Ford Model T)である。エンジン車の歴史の幕開けであった。

それから110年余り。今度は欧米中の3大陸で雨後のタケノコのように国民EVが生まれている。現在のエンジン車はおそらく20年もかからずにこれらのEVによって蹴散らされることになるだろう。大量生産が始まって110年余りでエンジン車は絶滅の危機にさらされることになった。思えばなんと短い命であったことか!

そこで1895年から1925年に米国で起きた嵐のようなEVの興隆を精査し、やがて世界を埋め尽くすであろう21世紀の国民EVについて連載の回を重ねつつ考えてみたい。

T型フォードとはどんな自動車だったのか

1900年前後に誕生した多くのEVは、自動車としていかなる存在だったのか。しかし、当時のEVを位置づけるといっても現代のEVと比べても意味はない。そこで、同時期(1908年)に大量生産が始まり、19年後の1927年には生産累計が1500万台に及び、米国からEVを駆逐したT型フォードと比べることにしたい。

T型フォードの価格

1908年のT型フォードツーリング(FORD MEDIA CENTER)

写真は誕生当時(1908年)のT型フォードである。価格は2人乗りで825ドル、5人乗りで850ドル。この価格を相対化するために時のフォード社の労働者の日給を見ると5ドルである。ただし、他の産業に比べると破格であった。

これは年収にして1000ドル程度だったので、贅沢をしなければフォードの労働者は(もちろんローンで)自分の作ったクルマを購入して使えた。労働者階級が自動車のオーナーになれるというのは、革命的な出来事であった。大衆社会の到来であり、自動車におけるアメリカンドリームの実現だった。

つまり、ヘンリー・フォードは自動車を使って産業・経済・社会革命を起こしたのだ。自動車とはなんともパワーのある存在であることか。

T型フォードの成功の背景

T型は隆盛期を迎えていた初期の米国EVの価格に比べると、相対的にお安い。しかも年間の生産台数が200万台に迫るモデル末期には355ドルになっていたのだから、EVの出る幕はなかったことになる。

ただし、当時はまだ排ガス規制も、CO2(燃費)規制も、おそらく騒音規制もなく、石油をめぐる国同士のきな臭い話もなく、米国は自国産の石油で十分に潤っていた。ガソリン車をめぐるネガティブな話はなかった。

T型の「問題」が自動車を進歩させた

T型ではエンジンを始動するために、クルマの前方にいって大きくて重いクランク棒を回した。時に死亡事故が起こるほど大変だったエンジンの始動が危険で不便だったに違いない。さらに、エンジンの爆発音がうるさく、排ガスが臭くても、何の規制もなく、GS(ガソリンスタンド)の数も増え、航続距離も適当に長く便利だったから、ガソリン車=T型フォードが爆発的に売れて、EVが駆逐されたのか?

上記のエンジン始動の危険性や不便さは、やがてセルモーターが発明され、解決された。消音器=マフラーは大きくなり排気音は静かになった。カリフォルニア州では戦前にすでに排ガスによる健康被害が問題になり……と、当時の問題はやはり問題で、その解決がエンジン車の「進歩」と呼ばれるようになった。エンジン車とはそもそも問題の多いモビリティだった。

だが、これらの問題はEVになればすべて解決する。つまり、エンジン自動車はEVに向かって進歩し続けたということだ。そして、そうした進歩をしなければエンジン自動車は生き残れなかった。「自動車」なる存在が生き残るには、イモムシからチョウのように、エンジン車からEVへと変態するしかないのだ。

自動車の終わり

ところで、フランシス・フクヤマという米国の学者が1992年に「歴史の終わり」という著書を出版し、大きな話題となった。誤解を恐れずにフクヤマの論説を要約すると、「東西冷戦がソビエトの崩壊で(デモクラシーを信奉する)西側の勝利で終わったことにより、政治思想・政治制度の最終形態であるリベラル・デモクラシーに人類はたどり着いた。歴史はここに向かって進歩してきたのだから、歴史は終わったのである」ということだ。

フクヤマの「歴史の終わり」を自動車に(無理やり)当てはめれば、「自動車はEVに向かって進歩してきたのだから、EVがエンジン車を駆逐するとき自動車の(進歩の)歴史は終わる」ということになる。

画一的なデザインで自動運転の(EV)タクシーが音もなく、ぞろぞろと走り回り、自動車マニアも愛車なんて言葉も死語で、自動車に関心を示す人もなく、もちろん自動車雑誌もなく、評論家も存在せず、モデルチェンジなど無駄な習慣はなくなるからTVやネットを賑わせる広告もなく、人々の会話から自動車は消え去る。「自動車が終わる」とはそういうことである。

EVを駆逐したT型フォードの諸元

エンジン車がなぜ普及したのだろうか……。まあ、じっくり考えましょう。ということで、まずはT型フォードの諸元をみよう。

EVに範を得て、1908年に発表されて19年間で1500万台を売りまくり、あっというまにEVを駆逐した世界最初の大衆車である。なぜ、T型はEVを駆逐できたのか。

T型フォードの諸元
ボディ/ランナバウト 組立幌
フレーム/圧延鋼材による梯子型
駆動方法/システム・パナール
サスペンション/前後横置きリーフ式
ハンドル/円形ホイール式(左ハンドルの定型化)
ホイールベース/99インチ(2515mm)
タイヤ/30インチ 空気入り
全長/3300~3600mm
ブレーキ/後輪ドラム式(駐車用) センターブレーキ(センタードラム締め付け式)
最高速/時速40~45マイル(64~72キロ)
エンジン/水冷式4気筒 2896cc
始動システム/クランク式手動 (セル式は1917年~)
出力/20~24馬力
燃費/リッター10~12キロ(5~6キロ説もある)

ということである。

この諸元を見る限り、回を改めて紹介する当時のEVと大きな違いはない。

相違点を列記しておこう。前項がEV、後に挙げるのがT型(エンジン車)である。

・動力源/モーター VS エンジン
・動力伝達機構の追加/無VS有(変速機、プロペラシャフト等)
・エネルギー貯蔵装置/電池重いVSガソリンタンク軽い
・性能/航続距離 短い VS長い
・利便性/エネルギー補給 (充電時間)長いVS(ガソリン補給時間)短い
・利便性/動力始動性 容易VS難・危険
・利便性/発進・加速 容易VS難(クラッチ、変速操作要)
・快適性/良VS悪(騒音・異臭・振動)
・環境性/良VS悪(排ガス、CO2)

一長一短である。ただし、もっとも大きな相違点は価格であった。

T型フォードの価格と変化

当時のEVは800ドル前後であった。これに対してT型フォードは、1908年上級モデルのツーリングで860ドルとEV並みではあったものの、1913年(発売から5年後)600ドル、1922年(発売から14年後)には300ドルであった。

これではEVを差し置いてエンジン車(T型フォード)が売れるわけである。

次回はT型フォードのボディ・デザインや駆動系のレイアウト等を調べ、1900年代の代表的な生産型EVを紹介しつつ、それらとT型の違いに迫ろうと思う。EV滅亡の様子をまた違った角度から知ることができるのではないかと思う。

(文/舘内 端)

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この記事の著者


					舘内 端

舘内 端

1947年群馬県生まれ。日本大学理工学部卒業。東大宇宙航空研究所勤務後、レーシングカーの設計に携わりF1のチーフエンジニアを務めるとともに、技術と文化の両面からクルマを論じることができる自動車評論家として活躍。1994年に日本EVクラブを設立(2015年に一般社団法人化)し、EVをはじめとしたエコカーの普及を図っている。1998年に環境大臣表彰を受ける。2009年東京~大阪555.6kmを自作のEVに乗り途中無充電で走行(ギネス認定)。2010年テストコースにて1000.3kmを同上のEVで途中無充電で走行(ギネス認定)。著書には『トヨタの危機』(宝島社)、『ついにやってきた!電気自動車時代』(学研新書)など多数。

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