EV創世記【第8回】電気自動車の原点〜EV諸子百家の誕生と滅亡

日本EVクラブ代表の舘内端氏が、「今、なぜ、電気自動車なのか」を語る連載企画。第8回は、20世紀初頭、普及の端緒にあったEVを駆逐したエンジン車産業隆盛の歴史を考察します。

EV創世記【第8回】電気自動車の原点〜EV諸子百家の誕生と滅亡

19世紀から20世紀へ〜EV諸子百家の誕生

1900年に登場したAmerican Electric の『Dos-A-Dos』。

諸子百家とは、中国、春秋戦国時代の諸学者・諸学派の総称で、春秋以来、崩壊する旧制度や社会の変動の中で、独自の思想・主張をもつさまざまの思想家が生まれたことを指す。果たしてこの比喩が適当かどうか疑問だが、19世紀末から20世紀初頭にかけてEVの世界はこの諸子百家状態だった。百家争鳴かもしれない。近代化の中心であった欧米、とくに米国では、American ElectricをはじめとするさまざまなEVの小さな、そして大きな会社が現れ、さまざまなEVが生まれ、販売され、そして消えていった。

変わって21世紀初頭。現代もまた電気自動車は中国を先頭に諸子百家が争鳴状態である。大きな変化があるときには、清濁、優劣、天才鈍才が入り混じって時代を動かしていく。卑近の例は明治維新だろう。坂本龍馬はもとより西郷隆盛、勝海舟に土方歳三等、傑出した才能と天運を持つ人物が時代を変えた。

同様に自動車がエンジンから電気モーターへと大変化する今、さまざまな会社と人が現れている。そして今、今後に自動車の歴史を大きく塗り替える大変化が起きつつある。象徴はテスラの登場である。EV産業界の先頭を走るテスラは、明治維新でいえば薩摩か長州、人でいえば渋沢栄一、岩崎弥太郎だろうか。

しかし、19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて欧米に出現した幾百のEVメーカーで、現代まで生き残ったメーカーは皆無だ。1908年に発表され、19年間で1500万台も生産、販売し、EVを駆逐したT型フォードの出現以来、ほとんどのEVメーカーが倒産したか、業態を変えた。業態変更ということでいえば、EVメーカーからICEV(内燃機関自動車)メーカーへの転身であった。現在と真逆の宗旨替えである。

EVを滅ぼした最初のエンジン車

T型フォード。

それはさておき、温故知新である。T型フォードが工場にラインを組んでの自動車大量生産の始まりといわれているが、実は生産、販売台数ではT型フォードに大きく差をつけられたものの、T型フォード以前にラインを組んで自動車を生産した米国のメーカーがあった。オールズモビル社だ。どこかで小耳にはさんだことのある名前ではないだろうか。

Oldsmobileと書くので、Oldな会社に思われるが、そうではない。社名は創業者であるランサム・E・オールズの名に由来する。後に米国の自動車の一大生産地となるデトロイトに本拠を置き、生産ラインを組んで最初に自動車(エンジン車!)を量産したのであった。しかも、今、流行最前線にある「水平分業」さえ取り入れたのだ。水平分業も、今はじまったわけではなかった。

オールズモビル「カーブドダッシュ」がEV衰退の最初の立役者だった

オールズモビル・カーブドダッシュ(モデル6C)。

オールズモビルに始まるライン生産と、車台(プラットフォーム)のモデルチェンジなしに19年間で1500万台も生産され、販売されたT型フォードは、いずれもエンジン車である。この2台のエンジン車がEV衰退の大きな原因となったと考えられる。

これが『EV創世記』でありながら、エンジン車に紙幅を割いた理由だ。ちなみに生産ラインを敷設し、最初にEVを大量生産したメーカーは三菱自動車であり、生産されたEVはi-MiEV(2009年)であった。T型フォードの大量生産の開始 (1909年)からちょうど100年後、1世紀も後のことだった。

カーブドダッシュ」という名前の由来は、ダッシュボードがカーブを描いており、それがなんとも美しかったからだということだ。上記のように自動車史上、最初に組み立てラインによる大量生産に成功した(エンジン)自動車であった。ミシガン州デトロイトの「Olds Motor Work」が製造し、1901年から販売した。トヨタ博物館に走行可能な状態で保存、展示されている。ちなみにエンジンは水冷単気筒である。2速の変速機を持ち、重量は363kg、最高速は32km/hである。

実はこのエンジン車がラインで組み立てられ、大量に生産されたという以外に、EV撲滅運動が起きた理由がある。それはデトロイトを自動車産業の町にしたことだ。この町なくして、後のGMもクライスラーも、そしてフォードもなく、T型フォードの成功もなかった。つまりオールズモビル カーブドダッシュは米国のエンジン自動車産業というよりも世界一の自動車産業の町、デトロイトが生まれ、EVを完膚なきまでに絶滅させる契機となったのである。

工場焼失、そして水平分業

カーブドダッシュが誕生する前の1901年3月9日。オールズの工場が炎に包まれ、鋳造工場以外、全焼してしまった。ただし、カーブドダッシュの試作車だけは難を逃れた。後にデトロイトの市長となるジェームズ・J・ブラディが炎の中から運び出したからだ。

カーブドダッシュの試作車は残ったが、工場が消失してはカーブドダッシュは造れない。そこで町の周囲にある工場の力を借りることにした。エンジンはリーランド&フォークナー社が、変速機はダッジ兄弟の会社(後にクライスラー社のダッジブランドになる)が、ラジエターはブリスコ兄弟会社が、そしてボディはバーニー・エベリット社が担当した。こうしてデトロイトの町に集結した部品メーカーが協業してカーブドダッシュは生産されることになった。現在でいうところの(EVの)水平分業生産である。

エンジン車を愛したデトロイト市長

後日談がある。カーブドダッシュの試作車を炎の中から救い出したジェームズ・J・ブラディは、デトロイト市長になるとデトロイトを世界一の自動車産業の町にすべく、どのメーカーでも使えるように部品の互換性を高めたり、部品の品質と精度を高めたりした。そうしたこともあって、カーブドダッシュはラインで組み立てられるようになり、大量生産が可能になった。

生産台数は1901年の425台から1905年の6500台へと飛躍的に増加したのだった。ここに19年間で1500万台というT型フォードが加わって、米国に(エンジン)自動車文化の華が開くのであった。

EV衰退の原因

こうして1900年代の初頭からエンジン車は隆盛を極め、EVは没落していく。その理由はエンジン車がEVに比べて単に性能や機能性などが勝っていたからではなく、大量生産性が高く、産業としての規模拡大に適していたからという要因も忘れてはならない。そして、何よりもEVよりもエンジン車に魅力を感じ、作るうちに愛さえも芽生えた多くの人たちがいたことも要因である。

排ガス規制もCO2問題もなかった

おそらくEVよりもエンジン車のコストが低かったことも要因ではないだろうか。現在のEVと同様に、かつてのEVもバッテリーのコストに悩まされていたのではないかと考えられる。しかし、現在は各国政府の手篤い補助金によって、バッテリーの価格の高さをカバーできている。なぜか?

地球温暖化と気候変動である。これを防ぐにはエンジン車ではなくEVが必要だ。そのためには補助金を出してでもEVを普及させなければない。しかし、100年前にはまだ都市の大気汚染も、ましてや地球温暖・気候変動もなく、PMやNOx、そしてCO2を出すからといってエンジン車を規制する必要はなかった。

排ガスもCO2も出し放題だったから、エンジンの改良も触媒も必要はなく、現代に比べれば稚拙でコストの低い技術で、エンジン車は造れたからである。エンジン車がEVに比べて優れていたとすれば、それは問題を先送りできたからであった。環境・エネルギー問題を無視したエンジン車VS 電気自動車論議は不毛である。

次回は、1900年代前後に隆盛を極めたEVについて米国を中心に紹介したい。EVにとってとんでもない時代であり、EVが跡形もなく消えていった歴史の無慈悲を感じてほしい。

(文/舘内 端)

※冒頭写真は1908年から約19年間でおよそ1500万台が生産されたT型フォード。1924年、1000万台達成時の記念写真。(出典:America’s Story/First and ten millionth Ford, 1924. Prints and Photographs Division, Library of Congress. Reproduction Number LC-D420-2659 DLC.)

【参考書籍】
『Automobiles of the World』Joseph H. Wherry

【参考リンク】
American Electric
フォード・モデルT
オールズモビル・カーブドダッシュ

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この記事の著者


					舘内 端

舘内 端

1947年群馬県生まれ。日本大学理工学部卒業。東大宇宙航空研究所勤務後、レーシングカーの設計に携わりF1のチーフエンジニアを務めるとともに、技術と文化の両面からクルマを論じることができる自動車評論家として活躍。1994年に日本EVクラブを設立(2015年に一般社団法人化)し、EVをはじめとしたエコカーの普及を図っている。1998年に環境大臣表彰を受ける。2009年東京~大阪555.6kmを自作のEVに乗り途中無充電で走行(ギネス認定)。2010年テストコースにて1000.3kmを同上のEVで途中無充電で走行(ギネス認定)。著書には『トヨタの危機』(宝島社)、『ついにやってきた!電気自動車時代』(学研新書)など多数。

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